備忘録

彼は遠くへ行ってしまう。
私はついていけない。一人で旅行にも行けない。
最悪なGWだと思った。
そして本当に最悪なGWとなった。
連休前にこれまで経験したことのない泥沼にはまり、
そのまま休みが始まった。
平和ボケしていたのかもしれない。
なかなか抜け出せなかった。
泥沼は今も足元にある。
引きずり込もうとする亡者もそこにいる。
何も変わっていない。
でも、また引きずり込まれても、今度は容易に這い上がれる気がする。

大きな試練だった。
でも試練は大きいほど、得るものも大きいという。
実際、私もこの試練で既に得たものがいくつかある。
たとえば、食事を摂れなかったことで、目標体重になった。
しかも、胃が小さくなって少食になったことで、腸の調子がすこぶる良い。
そして、世の中には色々な人がいて、必ずしも理屈が通用するとは限らないことを改めて知った。
人は正当性がなくても感情のままに相手を貶めようとすることがあり、
そういう相手と対峙しなければならないこともある。
そういう場合はこちらは努めて冷静に、
自分や相手を含めたその環境にとって最善の対処を考えなければならない。
自分の正当性を主張するだけでは何も解決しない。
そういうことを学んだ。
あと、もし歩けるのなら、ゆっくりでも歩き続けることは大事かもしれない。
ふとした時にいちいち立ち止まって、後ろを振り返るよりも、
ゆっくりでもずっと前へ歩き続ける方が健全な心を保てる気がした。
そのためには、常に自分の心に耳を澄まさなくてはならない。
何がしたい?何が嫌だ?疲れている?まだ頑張れる?何が欲しい?
そして自分が望むなら、いつでもどこへでも行ける状態であると良い。
自分が望まないなら、どこへも行かなくたっていい。
それからストレス解消のために大人買いした漫画が面白かった。
あと夕方から夜にかけて間接照明だけで生活すると、
絶望的な気持ちになることも分かった。蛍光灯さまさま。
そして自分にとって、自分が生きていく上で大事なものについて
改めて考えたり気づいたりするきっかけになった。

恐怖から望むことは、純粋な望みではない。
孤独が恐いから誰かにそばにいてほしいと望むことは、愛ではない。
執着や依存から誰かにそばにいてほしいと望むことも、愛ではない。
私は執着からも、依存からも、愛からも、彼にそばにいてほしいと望む。
要は兼ね合いの問題なのかもしれない。
強要、無理強いはしてはいけない、ということ。
そしてそこまで彼に執着や依存する理由は他でもない、
他に私が何も持たないからだろうと思う。
怖がって縮こまって生きて、世界に興味を持たないから。
どうしたら、もっと自由に生きられる?
どうしたら、恐れを捨てて生きられる?
彼の望みは心からのもので、いつも純粋だ。
きっと、自分の心に正直に生きてきたから、真っ直ぐ生きることに慣れているのだろう。
私もそうなりたい。そんな風に生きたい。

座禅草

平穏と思っていた日々に、思いもよらぬ出来事が起こった。
人の妬み、嫉み、憎しみをまともに受け止めた。
汚い言葉が耳に残り、聞きたくもない話が心にまとわりつく。
夜は眠れなくなり、食べ物は喉を通らなくなった。
眠れないことはよくあったが、食べれないことは珍しい。
何かを食べたい、という欲望がわかない。
食べないと眩暈がするから、おかゆ等を無心ですする。
けれどそれも二口、三口。
無理に食べると戻してしまう。
近頃、体重の増加が気になっていたし、ちょうどいいかもしれない。
それに、すぐ、食べれるようになるだろう。
嫌なことはケロっと忘れてしまうのが、自分の長所だ。
そんな風に楽観的に考えていた。
2日目の夜、起きた出来事について、恋人に打ち明けた。
彼の無垢さが、避難所のように感じられ、安らいだ。
もう大丈夫、と思えた。
3日目の朝、恋人は遠くへ旅に出た。
もう大丈夫、と笑えていたのが嘘のように、こころがぐらついた。
ここぞという時に、彼はいつもそばにいてくれない。
まるで試練を残して去っていくようだ。
自分でなんとかしなくてはいけない。
寝ないと思考はどんどん冷静さを失い、光から遠ざかる。
3日目の晩、薬を飲んで、ぐっすりと眠りについた。
4日目の朝、眠れたかいあって、いくらか気分はましになった。
しかし、まだ心がザワザワする。
睡眠不足は解消されても、根本の問題が消えてないから当然だ。
さすがに、お腹もすく。あの日から、ろくに食べていない。
深呼吸して、何を食べられそうか、考える。
消化の良さそうなもの。うどん、おかゆ・・
シンプルなもの。納豆ごはん、冷奴・・
好きなもの。餃子、フライドチキン・・
だめだ、何も食べられない。
眩暈がひどいけれど、家にいると、気持ちが塞ぐ。
だから、出かけることにした。

座禅草。
以前、SNSで見かけた、不思議な形の植物。
それを探しに行きたいと思っていた。
僧侶が座禅を組む様子に似ていることからこの名前がついたらしい。
太い花軸を、落ち着いた赤紫色の葉がかまくらのように包み込んでいる。
森の中、地面からひっそりと生えるその姿は、さぞ神秘的だろうと思われた。
なんとなく、水辺に生えているような気がして、
池のある方角へ進む。
草むらに目線をやりながら、歩いていく。
目的の植物を探しながらも、頭の中では思考が渦巻く。
「私は、何も悪いことはしていない」
「あの女は、卑劣だ。許せない」
「しかし本当に、私は何も悪くないのか?」
「・・・・・・・・・」
お腹が空く。眩暈がひどい。精神状態も最悪だ。
こんな時、母がいてくれたら、
きっと、少しでも食べなさいと、何か作ってくれただろう。
こんな時、帰る家があったら、
こんな暗い森の中で寂しくウロウロせずに済んだだろう。
こんな時、無条件に、味方になってくれる人が近くにいたら、
腕の中に飛び込んだかもしれない。あまりにも気持ちが弱っている・・。
じわりと涙が出る。
それでも歩を進める。
なぜ?
なぜ私はこんなに無防備なのだろう。
阿呆のように人を信じ、裏切られ、泥沼に引きずり込まれた。
なぜ、こんなに一人ぽっちなのか?
前から思っていた。
もし、この世に守護霊のような存在があるとしても、
自分は何者にも守られていない気がする・・・。
恋人に会いたい。苦しい。寂しい。
でも、彼は今、家族の元に帰っている。
彼には、両親と、姉たちと、甥っ子や姪っ子たちがいる。
なぜ?
あんなに自分勝手に生きているのに。
なぜ、彼の方がたくさんのものを持っている?
私は泥沼に引きずり込まれたのに、なぜ、彼は乾いた地面を平気そうに歩いている?
何か、違う。彼は、守られている。良い人生を行きている。
なぜ、同じ人間なのに、こうも違う?
そもそも今回のことだって、彼のせいで私はこんな目に遭っている。
なぜ、私だけがこんな・・
いや、本当に彼のせいだったか?
・・・
長い下り坂に差し掛かる。
この向こうに池は見えている。
行きは、いい。でも、帰りは?
この坂を登る体力が、残っているだろうか?
でも、今更引き返せない。坂を下る・・。
ゆっくり、ゆっくり、下る。
この先に、座禅草はない気がする。
それでも、行かなければいけない気がした。
生き物の気配のない、池だった。
変わった鳥の鳴き声がしたけれど、姿は見えない。水鳥もいない。
あたりをぐるりと見るけれど、やはり、座禅草は見当たらない。
また、元の道を戻る。
眩暈がひどくなる。
やっぱり、何か食べてくればよかった。
でも、何も食べれない。食べたくない。
酔っ払いのようによろめきながら、坂を登りきり、歩く。
数日食べないだけで、こんなに弱るものなのだろうか。
それとも、精神的な衰弱で体まで弱っているのだろうか。
この森で以前、フクロウを見たことがある。
池とは反対方向だった。
そちらの方を探したら、座禅草は見つかるかもしれない。
でも、もうそんな体力は残っていない。
歩く速度が遅くなっていく。
不安になる。
そもそも、この森を出て家に帰る体力が残っているのか?
もう、だめだ。
地面に膝と両手をつく。
お腹が空いて、苦しくて歩けない。
食べれるわけがないじゃないか。
汚い言葉、醜い感情、こびりついて離れない・・・
誰か、助けて。
ここに転がっていたら、誰か通りかかって、助けてくれるだろうか。
それとも、誰かに電話して、助けに来てもらう?誰に・・?
苦しい。苦しい。苦しい。

ふと気づくと、手元に木漏れ日が射している。
頭上の木や遠くから、鳥の声が聞こえる。
そして、近くの低木に、カサ、という音を立てて、
小鳥がとまった。
姿は見えない。
その小鳥が、大きな、よく通る声で、さえずる。
シジュウカラだ。
なんて澄んだ、美しい声だろう。
しばし、呆然とする。
小鳥はひとしきりさえずると、すぐに飛んで行った。
私はむくりと起き上がり、歩き出す。
座禅草を探さねば、と思った。
何か食べないと、探せない。
そう思うと、次第に食欲がわいてきた。
何か食べたい、とやっと思えた。

空腹を我慢して、車まで戻り、コンビニへいった。
さっきまで見るのも嫌だった、
サンドウィッチと野菜ジュースを買い、車で食べた。
美味しいと感じた。吐き気は起きなかった。
そしてまた森へ戻った。
結局、私は座禅草を見つけた。
思っていた通り、神秘的な植物だった。
さっきまでの苦行を思うと、少し泣きそうになった。
よかった。見つけられて。前へ進み続けることができて。
帰る場所も、甘やかしてくれる母もないけれど、
私は自分で美しいものを、救いを見出すことができた。
これからもきっとそうして、生きていかなければならない。

トリカブト

悲しみの大きさを比較しても仕方がない。
死に別れと生き別れなら
多くの場合死に別れの方が
大きな痛みと悲しみを伴うのだろうけど
心を寄せ合った相手と生き別れることも大きな悲しみを伴う。
前へ踏み出すためには立ち止まって悲しむことが必要だ。
大した悲しみじゃない、と目を背けるのではなく。
****************************
どんなに好きでも、一緒にはいられないのだ。
好きなだけでは、だめなのだ。
それは厳しくて残酷な事実だ。
客観的に、冷静に見れば、わかることだった。
見ないふりをした。気づきたくなかった。
この世界は、私のような半端者には容赦ないのだ。
容赦なく、現実をつきつける。

家族

忘れていく。
どんどん忘れていく。
忘れたことはわかるけど
何を忘れたのかはわからない。
心の大きな穴を
以前、満たしてくれていたもの。
その穴が塞がっていた頃はどんなだったのか。
どんな毎日だったのか。
忘れていくから、前へ進めるけど、
忘れたくなかったのに忘れたこともあるから、
心に穴があく。
*******************
私が生まれた頃のビデオを父が送ってきた。
撮影は専ら父で、ビデオには母や3つ上の兄、そして私が映っている。
母は今の私より5歳上で、まだ若くて、とにかく幸せそうだ。
そう、母は私たちが小さい頃、いつも幸せそうだった。
いつも笑っていて、陽気で、優しかった。
そのことを忘れていた。
これは忘れたくなかったことだ。
*******************
私たちが大きくなってからは、
小さな試練のようなものが積み重なって、
いつも幸せというわけにはいかなかった。
いっそ忘れてしまいたいと思うこともたくさんあった。
私たちは問題を抱えて、
何もできずに、窓を開けて新しい風を入れることもなく、
狭い部屋の中でぐるぐると回り続けた。
今の自分ならもう少し、何かできたんじゃないか。
そんな風に思っても、どうしようもない。
やり直す機会がないというのは残酷だ。
それでも悪いことだけじゃなかった。
楽しいこととか愚痴とかを何でも話せたり
何か美味しいもの食べに行こうか、と思いつきで出かけたり
そういう相手がいるというのは
とても温かいことだった。
その温かさはもう忘れてしまった。
思い出そうとすると泣きそうになるから、
忘れてしまったままの方が良いのかもしれない。
*******************
私は、自分が家族を望んでいると思っていた。
結婚して、子供を産んで、家族を作りたいのかと。
でも違った。
私が望んだのは、自分の元の家族だった。
もっと言えば、母だった。
元の家族に未練を持ったままで、
新しい家族を作る心の準備ができていなかった。
今でもまだできていない。
全然できていない。
温かい場所、帰る場所、
喉から手が出るほど欲しいけど
「欲しい」と思うことと
「手に入れよう」「作り上げよう」
と思うことは全然違うことだった。
もう悲しくはない。
「アクティブだね」なんて言われるほど活動的に
自分の思うまま日々を送っている。
ただ心の一部は後ろを見続けている。
*******************
忘れたから前へ進めたんだろうけど
今はまた忘れたことを思い出したい。
一つ一つ思い出して懐かしんだり胸を痛めたりする。
そうして心の穴を埋めていきたい。
そうしてちゃんと向き合ったら
またもう少し前へ進む準備ができるかもしれない。

僕の庭

職場のムードメーカーだった後輩くんが、
部署異動で去っていった。
休憩中にその子と話すのが好きだった。
大らかで気持ちの優しい青年で、
誰にも話せないこととか、ちょっとした愚痴とかたまると、
不思議とその子の方に足が向いた。
”親しみ””親しさ”というものを、
彼と過ごすことで久しぶりに思い出した。
こんな風に何でもないような日々の、
何でもないただの同僚との、
何でもないような休憩時間に、
知らぬ間に救われてたりする。
いなくなったって、寂しいなんて感じない。
お互いどっかで元気に頑張っているならそれでいい。
**************
恋人の背中を追いかけるのをやめた。
少なくとも、やめようと試みている。
自分の気持ちにもっと耳を傾ける。
自分の生活を大切にする。
恋人のことよりも、自分自身を好きでいる。
自分の生活がどんなに退屈で平凡に思えても、
自分自身がどんなにちっぽけに思えても。
**************
深夜、彼が山へ行くと言う。
明後日、戻ると。
寝ぼけ眼で頭を働かせ、言葉を探した。
半時間程かけても、一つしか見つからなかった。
いなくならないでね。
どういう意味だと、彼は捉えただろう。
少し驚いたように見えた。
そして、うん、と一言、去っていった。
翌朝連絡が来て、結局、彼は考え直して、山へは行かなかった。
その代わり、週末はずっと、そばにいてくれた。
一緒に美味しいもの食べて、
一緒に運動して、一緒に川や森を探検した。
すべての時間がキラキラして楽しかった。
彼のお母さんが言っていた。
満月の夜に生まれたから、
月から預かったような気がしていると。
だからいつか、月に返さなければならない日がくる気がすると。
それがいつなのかはわからないけど
お別れの日は必ずくる。
別々の人間である以上、必ず。
それまでたくさんの綺麗な景色とか
生き物とか植物とか一緒に見て
できるだけそばで手を繋いでいられるように。
その時間ができるだけ長く続けばいい。

里山

梅雨の影響で、雨がしとしと。
それを言い訳にして、
昼までゴロゴロと寝て過ごした。
キッシュの作り方の本を買ったから、ぜひ作ってみたい。
ネットで評判のシャンプーが届いているから、取りに行きたい。
でもまあ、あとでいいや。
ゴロゴロ。
************
母が、いなくなってから、5年と半年が経つ。
父が、家族の解散を宣言してからも、5年と半年。
いつも寄る辺なさが心につきまとって、孤独を深めた。
自分が持っているものより、
失ったものが目について仕方なかった。
でもだんだんと、心は平穏さを取り戻していった。
悲しいことも、妬みや憎しみも、
抱え込むのにも疲れて、
きっと自然に手放していった。
もう、帰る場所がない悲しみも感じない代わりに、
家族のあったかい感じとか、ほっとする感じとか、
そういうのも思い出せなくなっていくことにも、時々気づいた。
夫は、わたしのそういう部分を、冷たい、と感じていたんだろう。
わたしも感じる。わたしは冷たい。
だって、心の中に何かこう、あったかいものが、欠けてしまっている。
でも、なんだか最近、ときどき、
ふとした時に、思い出す。
小ちゃい頃に感じていた、あったかい気持ち。
絶対的な安心感、親しみの気持ち、ほっとする気持ち。
ああ、こういうのがとても心地良いから、
人は家族を作るのかなって、ふと思った。

晴れの日。

エッセイを買ってふむふむと読んだ昨夜。
全然納得できない一節に行き着く。
それなのに、素通りできない。
読み進め、読み終わり、
もう一度その一節に戻り、
やはり納得できず、心の中でううむとうなる。
そして別の小説を読む。
義弟がわざわざ連絡してきて、
絶対読んでみて、とおすすめしてきた、
アニメーション映画の小説版。
靴を作る高校生の話。
なかなか、面白い。
深夜まで読んで、寝る。
ぐうぐう。
7時、ハルに起こされる。
起きたくなくて布団の中で考えを巡らせる。
ごろりと仰向けになると、
窓の外が明るい。晴れだ。
そうだ、洗濯して、掃除して、
さっさと出かけよう。どこへ行こう。
図書館、湖、森、ジム、映画館、洋服屋、、、
そうだ、必ずしも出かけなくてもいい。
美味しいお菓子とお茶を用意して、
本の続きを読む。
ああ、でも、なんだか面倒かも。
一日中寝ていることになりそう・・・
いや、なんのこれしき。
自分をなめてはいけない。
悪い結果というのは、
自分をなめてるから起こるというではないか。
その通りだ。
わたし、やれる。
そう思うと、なんだか力がみなぎる。
楽しく過ごそう。
やりたかったことやろう。
そのとき、ふと、昨日の納得いかなかった一節を思い出す。
受け入れたくない、と固くなっていた気持ちが溶けて、
するりと心の中へ入っていく感じがした。
ああ、わたしはわたしだけの道を歩こう。
恋人の後ろを歩くのではなく。
彼も歩いたことのない、道を。
本も、服も、景色も、休日の過ごし方も、友人も、映画も、食べるものも、何もかも、自分で選ぼう。
とても、寂しいけど、そうするしかないのだ。
いつまでも雛鳥でいるわけにはいかない。
彼とわたしで、みまもっていたハクセキレイの巣があった。
ふわふわの雛たちが、うごめいていた。
親鳥は巣の近くを人間が通ると、
その人間の前をゆっくり歩き、
わざと巣から人間の目を遠ざけようとしているようだった。
ふわふわの、守られる存在である雛っぴたちは
あっという間に巣立っていった。
なんて寂しいんだろう、と感じた。
彼は、嬉しいと言っていた。
またどこかで会えるかもしれない。
空を見上げて、どこかにいるのかな、と思う楽しみができた、と。
清々しいほど執着がないのだ。
寂しい、と思ってしまうよわたしは。
それはそれでいいんだと思うしかない。