100%

夢を見た。

恋人は故郷へ先に帰り
二人で住む家を見つけてくれた。
私は後から追いかけていき
彼が見つけた海辺の一軒家に着く。
ついた途端に、巨大な津波に襲われる。
瞬く間に津波は全てを飲み込み
私は棒切れに捕まってなんとか助かろうともがく。
気づくと、私は死んでいて
棒切れを持った天使になっていた。
津波に飲み込まれた町の上空を飛びながら
溺れかけている人たちを棒切れで助ける。
彼はどこだろう。
必死に探して夕暮れにやっと彼を見つけた。
彼は山に行っていて難を逃れていた。
ほっとした。少し寂しかった。

ふと気づくと、森の中にいる。
ドイツで住んでいた家の近くの森に似ている。
クロウタドリの声が聞こえるから、やっぱりあの森かもしれない。
生い茂る葉の間から、日が差し込んでいる。
なんとなく、ここが天国だと思った。
木漏れ日が綺麗だなあと思い、ぼうっとしていると、
ガサ、という物音に気づく。
葉を踏む音だ。
物音の方を向くと、少年がいた。
少年は木に小瓶をあて、樹液を採取している。
その子は私に気づくと、小瓶を差し出し、
樹液を飲むように促した。
琥珀色の樹液は甘く、美味しい。
少年はにっこり笑う。
どこかで見たことのある、ほっとする笑顔だった。
私は少年と一緒に、彼の住む家に向かった。
一緒に住むのだ。
彼と、彼の家族と。
その暮らしはとても暖かく、なんの不安もない。
孤独も感じない。
ここには幸せしかない。
やっとここに来られた、と思った。

どんなことでも、笑えるようになりたい。
苦しいことも、恥ずかしいことも、
悲しいことも、失敗してしまったことも。
ちゃんと自分の足で立てるようになったら
暖かい場所へも歩いていけるだろうか。

冷風

亡者との戦いは幕を閉じた。
誰も敵にならなかったし
かえって周りとの絆が深まった気さえする。
今は平凡で静かな生活を過ごしている。

別れた恋人は
彼が成し遂げた偉業より
私との思い出が何より大事だったと気づいた
そういった。
何か腑に落ちないものを感じながらも
私たちはよりを戻し
来春には彼の故郷に一緒に帰ることになっている。
私たちは確かにお互いを好いている。
親しみを感じているし情が湧いている。
私は彼のことをそれなりによく理解しているし
他の人より寛大に彼を受け止めてあげられる自信もある。
素晴らしい思い出もたくさんある。
仕事を辞めて彼と暮らすことは、私がこの数年、
何より望んできたことだ。
このまま進んでいけば、
それが叶う。
でも今になって、ものすごく迷っている。

今、私は、前、結婚してこの地を去ったときのように、
「失うものが何もない」状態ではない。
仕事は楽しいし、同僚にも恵まれている。
いつでも会える場所に良い友達もできた。
もう実家はないけれど、兄がいるし、親戚もいる。
過不足なく幸せに暮らせているということは、奇跡のようなことだ。
今の幸せは、失敗しながらも、自分で築いたものだ。
それを捨てて、彼についていくのは、
ギャンブルのようなものだ。
しかも、彼が望む生活と、私が望む生活は、
おそらく違う。
私はある程度妥協はするけど、100%合わせるのは嫌だ。
彼は妥協して幸せになれるタイプではない。
だから私たちが一緒にいてうまくいく可能性は
極めて低いと思っている。

別れることを考える。
私が今、幸せで暮らしていられるのは、
彼のおかげだ。
彼が幸せにしてくれたわけではない。
彼が、幸せでいるお手本を見せてくれた。
自分の心に耳を傾ける。
自分の本当に望むことをする。
嫌だなと思うことはしなくていい。
でも好きなことは全力でやる。
ありのままの自分でいい。
惨めに自己嫌悪ばかりしていた人生が180度変わった。

彼と一緒に行った場所を思い出す。
一緒に見た景色を思い出す。
早朝の誰もいない、凍りついた港。
山頂の花畑で朝食をとるヒグマ。
海岸のカモメがたまる断崖。
森の奥の奥にある大きな滝。

なんであんな男と付き合うんだって
いろんな人に言われた。
でも私は彼と一緒にいたことを後悔したことはない。
大事なものをたくさんもらった。
ずっと一緒にいられるのが一番美しいけど
お互いの幸せを思って別れることも
間違いではないのかもしれない。

沼の底

恋人と別れてからほどなくして
私は良い感じに立ち直った。
あんなに欲しかった子供、自分の家族というのは
一人ではどうにもならないから諦めて
自分の本当にやりたいことをやろうと決めた。
今いる場所や仕事を離れることに決めて
着々と次の場所へ移る準備を進めた。
不安はもちろんあったけれど
自分一人くらいどうやったって生きていけるだろうと思った。
そんな時、また泥沼にはまった。
引きずり込まれたというよりは、
沼の中から亡者に泥だんごをぶん投げられて、
やめるよう説得するために沼の中に入っていった。
*****************
別れた恋人も泥だんごをぶつけられた一人だった。
彼は動じず亡者の方を振り返りもせず
私や他の人と一緒に沼へ下りて泥にまみれることもせず
亡者をすくいあげるべきだという声もあったけど
聞こえてるのか聞こえていないのか
前をみて歩き続けた。
その姿を見て周りは憤っていたけれど
私はなぜかほっとした。
彼が優しいふりをして助けようとなどしなくてよかった。
彼が自分の身の潔白を証明するために声高に叫んだりしなくてよかった。
*****************
そして泥沼の最中、前へ進めず、かといって止まることも耐え難い状況で、
彼から復縁の申し出を受けた。
思いもよらなかった。
不器用なような、ロマンチックなような言葉に対してわいたのは、
怒りの感情だった。
もう一緒に居たくないといったのは、あなただ。
私がどんな気持ちであなたを忘れようとしたかわかるか?
なぜ今更、そんなことをいうのか。
彼を責めた。
彼はごめんなさい、と何度も謝った。
自分の気持ちに素直な人間というのは、こんなものか。
人の気持ちをいくら害しても、
自分の気持ちにのみ正直にしか生きられないのだ。
じゃあ、仕方ないか。
彼の謝罪を聞きながら、怒りはすぐに収まった。
彼の自分勝手さには慣れている。
それから、話し合いを重ねている。
*****************
誰かと一緒にいるのは
一人でいるより楽しかったりする反面
身動きが難しくなったりする部分もある。
今の状況では一人ならどこへでもいけるけど
二人だと相手の意思もある。
しばらくは沼の浅瀬をザブザブと歩かねばならなそう。
長靴を忘れないようにすることと、
深みにははまらないように気をつけよう。

雨歩

雨の中を、長靴と合羽で歩いた。
大勢で、とことこと、沼の周りを。
深い深い水たまりにも、ずんずん入っていく。
ぬかるみに足をとられて、転びそうになる。
ここで転んだら、最悪だね、と笑い合う。
雨のせいか、鳥は多くない。
それでも、じっとりと湿った空気に、時折小鳥の鳴き声が響く。
野原では、ノゴマノビタキが姿を見せてくれた。
雨脚が強まったとき、静かだった辺りに、
カエルの声が響き渡る。
ぐわ、ぐわ、ぐわ、ぐわ、ぐわ
何十匹もいるのだろう。
カエルの大合唱であった。
ぐわ、ぐわ、ぐわ、ぐわ、ぐわ
***************
恋人と別れたのは、いつだったろう。
まだ最近のことなのに、ずっと昔のことのようだ。
一人の生活にはすっかり慣れて、
快適なことこの上ない。
それでも彼の姿を見ると、考えると、胸が痛むので、
一切考えないようにして過ごしている。
今日気付いたのは、話すと、匂いをかぐと、
もっと胸が痛むということ。
気持ちとは複雑なものだ。
たくさん傷ついて、悲しい思いをして、
もうこりごりなのに、
私の心はまだ彼のところにあるようだ。少しは。
やっと、見込みのない男と別れて、結婚相手を探せる!
とまで思っていたのに、
そんな気も起こらない。
人情とはそんなものだろうか。
***************
一人の生活に満ち足りたものを感じられることは、
自分にとって大きな進歩だった。
「一人になってしまった」
「一人は寂しい、悲しい」
こういった思い込みには、ずいぶん苦しめられた。
「母のいた頃の生活」に固執していた。
今も、完全には手放し切れていないのが事実だ。
でも、生きている限り、時間は流れ、全ては変化し続ける。
「母との生活」はもう終わったのだ。
十分、楽しんだ、と、満足せねばならない。
事実を受け入れねばならない。
前向きに、恐れずに、「一人の生活」と向き合わねばならない。
それが自分には必要だった。
前向きに、自分の人生を楽しもうと思わせてくれたのは、
恋人であった。
彼のおかげで、自分は自分のままでいいと、
全然完璧じゃなくても、人と違っても、
このままでいいんだと、好きなことを好きなだけやっていいんだと、
知ることができた。
世界には楽しいことや興味深いことがたくさんあるということも。
***************
去ってゆく人もいれば、新しい出会いもある。
ここ数週間で、大事にしたいご縁がいくつあった。
近すぎず、遠すぎない友人・知人関係というのは、
恋人関係よりも、今の自分には大きな意味のあるものかもしれない。

階段

このことについて何かを記すにはまだ時間が必要。
でも、事実は事実。
恋人と別れた。
お付き合いした人にふられるのは初めてだ。
相手の心が離れていくのを感じた。
でも気にしないようにした。
相手の嫌なところも受け入れるようにした。
でも全て一人芝居だった。
よくある幼い恋愛をこの歳になってしただけ。
ただそれだけ。
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それもいいじゃない、と笑って言えるようになる。
じわじわと終わりを迎えた。
そのおかげで今、涙が出ない。
これまでにたくさん傷ついたから、
今さら傷つくこともない。
純粋だったはずの彼への気持ちは、
寂しさやみじめさから、
少しずつ嘘が混じり始めた。
純粋でないものが混じり始めた。
どうしたらずっとそばにいられただろう。
ただ仲良く、幸せに。
答えが一つも思いつかないくらい、だめだった。
でも、私は好きだった。
好きじゃなくなったのは、
彼が私を好きじゃなくなったからだった。
虚しすぎる。
もういい。
自分のことだけを考えよう。

八重桜

今年になってから、ゾッとするくらい、ついてない。
自分の意思に関わらず、穏やかでないことが起きるし、怪我も多い。
お祓い、という言葉が頭をよぎる。
1月:最低な年明け
2月:人間関係の一部が最低
3月:最悪なホワイトデー、膝を負傷、変質者に遭う
4月:泥沼に巻き込まれ病む
5月:足の指を負傷、結婚を諦める、変質者に遭う
こうしてみると、私の不幸を構成しているのは人間関係と怪我と変質者か。
今年は去年よりも、人との関わりを増やしているし、外にも多く出ている。
その弊害ということなのだろうか。
怪我はドジなのを自覚して気をつければ良い。
変質者は対策を検討中。
人間関係は。。。日々勉強。
友達以外には余計なこというもんじゃないと学んだ。
信用できる人と、そうでない人をきちんと区別する。

逆に、良いこともたくさんあった。
初見の鳥にたくさん出会えているし、撮影もしている。
会社でも仲のいい同僚が増えて、楽しくやれている。
同期と定期的に運動を始めて楽しい。
誕生日は珍しく恋人がお祝いしてくれた。
プラスマイナスで考えると、確実にプラス。。
お祓いは必要ないか。

蝦夷山桜

昨日、里帰り出産で帰省している幼馴染に会った。
順調と思える彼女の結婚生活だったけど、
義両親との関係で苦労しているらしい。
離婚も考えるほどだったとか。
それならそれで、いいのかも、とも思う。
彼女の実家は家族仲がすごく良いし、
子連れで帰ってきて、のんびり暮らすのも幸せかもしれない。
旦那さんも優しいようでなんか頭固いし、
必ずしも彼女の味方をしてくれるとは限らないようだし。
大事に思ってくれる人と暮らすのは幸せなことだ。

もう、仕事が始まる。
そう思うと、まだ、この連休でやり残していることがある気がした。
そう。
連休前に引きずり込まれた、泥沼。
連休中もずっと、会っていたのは会社の人たちだった。
どうしても、世界が狭くなってしまう。
すると、ここで生きていくしかないような錯覚に陥る。
そして、恋人とのことは、友人は誰も応援してはくれない。
もっと良い人がいるのでは?と。
私もそう思う。
そう思うけど、それは離れる理由にはならない。
一度、そばにいようと決めた相手と、そんなに簡単に別れられる?
誰かとそばにいたいなら、相手の至らなさを受け入れる努力が必要では?
お互いに歩み寄ることが必要では?
それが愛というものでは?
ずいぶん、ひどいめにあってきたと思う。
そして、今後もひどい目にあうだろうとわかっている。
けど、今後彼が何をしても、許せる自信がある。
しかし、先日の泥沼に関連して、新たな視点が生まれた。
「彼にとって自分はベストなパートナーではないのでは?」
彼が旅から帰ってきて落ち着いたら、
このことについて掘り下げて話してみようと思っている。
もう手紙も書いている。

彼との関係を終わらせる(かも)にあたって、
自分には心の準備が必要だと感じた。
自分の家庭を持ちたいということを第一に考えてきた。
けどその思いを、今一度見直さねばならない。
そして、諦める場合、健全に生きていくには、
他に情熱を傾ける何かが必要だ。
そう思い悩んでいたとき、昔の友人を思い出した。
子供の頃、一緒に塾に通った半年間で仲良くなった男の子。
卒業後も一緒にいたいという気持ちが強すぎて
その気持ちを持て余して恋だか友情だか何がなんだかわからなくなって、
こじらせまくってその後5年間鬱々と思い続けた相手。
情熱と言えば、彼だと思った。
彼は、夢を実現してやりたい仕事についている。
大きな情熱を持って仕事をしている人だ。
告白して気まずくなりはしたけど、あの時の友情は本物だった。
そう思い、連絡した。実に8年ぶりだった。

私が名乗ると、彼は大きな声で楽しそうに笑った。
あまりにも唐突で、驚いていた。
もはやお互い、おじさんとおばさんだ。
ただただ、楽しくおしゃべりをした。
私は変な遠慮とか消えて、図々しく、言いたいことを言った。
彼は前よりデリカシーというものを学んだらしく、
いろいろ気にしながらだけど、昔のように楽しく喋ってくれた。
8年前よりも親しく、16年前の子供の頃のように。
私の話を聞く時の彼の穏やかな笑顔を思い出した。
鮮烈さや情熱のような、恋と呼べるような特徴は微塵もなく、
ただひたすら穏やかな強い気持ちで、ずっとそばにいたいと思った。
彼を好きで、そばにいたいという思いはそういう感覚だった。
子供で、何にもわからなかったけど、
こんな風に思える相手は大事だと思ったんだった。
懐かしい。
こんな風にまた話せるのは、友達のまま終わったからかもしれない。
それなら、友達のままで本当に良かった。
やっぱり、彼は夢だった仕事を続けて、打ち込んでいた。
積もり積もった話がありすぎるので、
詳しくは今度会って話すことにした。

今後の指針も大した立てれなかったけど、
思わぬ収穫があった。
友人というのはずっと友人であるし、
会える時に会うのが良い。
会社以外の世界との触れ合い、という意味でも良かった。