雨歩

雨の中を、長靴と合羽で歩いた。
大勢で、とことこと、沼の周りを。
深い深い水たまりにも、ずんずん入っていく。
ぬかるみに足をとられて、転びそうになる。
ここで転んだら、最悪だね、と笑い合う。
雨のせいか、鳥は多くない。
それでも、じっとりと湿った空気に、時折小鳥の鳴き声が響く。
野原では、ノゴマノビタキが姿を見せてくれた。
雨脚が強まったとき、静かだった辺りに、
カエルの声が響き渡る。
ぐわ、ぐわ、ぐわ、ぐわ、ぐわ
何十匹もいるのだろう。
カエルの大合唱であった。
ぐわ、ぐわ、ぐわ、ぐわ、ぐわ
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恋人と別れたのは、いつだったろう。
まだ最近のことなのに、ずっと昔のことのようだ。
一人の生活にはすっかり慣れて、
快適なことこの上ない。
それでも彼の姿を見ると、考えると、胸が痛むので、
一切考えないようにして過ごしている。
今日気付いたのは、話すと、匂いをかぐと、
もっと胸が痛むということ。
気持ちとは複雑なものだ。
たくさん傷ついて、悲しい思いをして、
もうこりごりなのに、
私の心はまだ彼のところにあるようだ。少しは。
やっと、見込みのない男と別れて、結婚相手を探せる!
とまで思っていたのに、
そんな気も起こらない。
人情とはそんなものだろうか。
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一人の生活に満ち足りたものを感じられることは、
自分にとって大きな進歩だった。
「一人になってしまった」
「一人は寂しい、悲しい」
こういった思い込みには、ずいぶん苦しめられた。
「母のいた頃の生活」に固執していた。
今も、完全には手放し切れていないのが事実だ。
でも、生きている限り、時間は流れ、全ては変化し続ける。
「母との生活」はもう終わったのだ。
十分、楽しんだ、と、満足せねばならない。
事実を受け入れねばならない。
前向きに、恐れずに、「一人の生活」と向き合わねばならない。
それが自分には必要だった。
前向きに、自分の人生を楽しもうと思わせてくれたのは、
恋人であった。
彼のおかげで、自分は自分のままでいいと、
全然完璧じゃなくても、人と違っても、
このままでいいんだと、好きなことを好きなだけやっていいんだと、
知ることができた。
世界には楽しいことや興味深いことがたくさんあるということも。
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去ってゆく人もいれば、新しい出会いもある。
ここ数週間で、大事にしたいご縁がいくつあった。
近すぎず、遠すぎない友人・知人関係というのは、
恋人関係よりも、今の自分には大きな意味のあるものかもしれない。