蝦夷山桜

昨日、里帰り出産で帰省している幼馴染に会った。
順調と思える彼女の結婚生活だったけど、
義両親との関係で苦労しているらしい。
離婚も考えるほどだったとか。
それならそれで、いいのかも、とも思う。
彼女の実家は家族仲がすごく良いし、
子連れで帰ってきて、のんびり暮らすのも幸せかもしれない。
旦那さんも優しいようでなんか頭固いし、
必ずしも彼女の味方をしてくれるとは限らないようだし。
大事に思ってくれる人と暮らすのは幸せなことだ。

もう、仕事が始まる。
そう思うと、まだ、この連休でやり残していることがある気がした。
そう。
連休前に引きずり込まれた、泥沼。
連休中もずっと、会っていたのは会社の人たちだった。
どうしても、世界が狭くなってしまう。
すると、ここで生きていくしかないような錯覚に陥る。
そして、恋人とのことは、友人は誰も応援してはくれない。
もっと良い人がいるのでは?と。
私もそう思う。
そう思うけど、それは離れる理由にはならない。
一度、そばにいようと決めた相手と、そんなに簡単に別れられる?
誰かとそばにいたいなら、相手の至らなさを受け入れる努力が必要では?
お互いに歩み寄ることが必要では?
それが愛というものでは?
ずいぶん、ひどいめにあってきたと思う。
そして、今後もひどい目にあうだろうとわかっている。
けど、今後彼が何をしても、許せる自信がある。
しかし、先日の泥沼に関連して、新たな視点が生まれた。
「彼にとって自分はベストなパートナーではないのでは?」
彼が旅から帰ってきて落ち着いたら、
このことについて掘り下げて話してみようと思っている。
もう手紙も書いている。

彼との関係を終わらせる(かも)にあたって、
自分には心の準備が必要だと感じた。
自分の家庭を持ちたいということを第一に考えてきた。
けどその思いを、今一度見直さねばならない。
そして、諦める場合、健全に生きていくには、
他に情熱を傾ける何かが必要だ。
そう思い悩んでいたとき、昔の友人を思い出した。
子供の頃、一緒に塾に通った半年間で仲良くなった男の子。
卒業後も一緒にいたいという気持ちが強すぎて
その気持ちを持て余して恋だか友情だか何がなんだかわからなくなって、
こじらせまくってその後5年間鬱々と思い続けた相手。
情熱と言えば、彼だと思った。
彼は、夢を実現してやりたい仕事についている。
大きな情熱を持って仕事をしている人だ。
告白して気まずくなりはしたけど、あの時の友情は本物だった。
そう思い、連絡した。実に8年ぶりだった。

私が名乗ると、彼は大きな声で楽しそうに笑った。
あまりにも唐突で、驚いていた。
もはやお互い、おじさんとおばさんだ。
ただただ、楽しくおしゃべりをした。
私は変な遠慮とか消えて、図々しく、言いたいことを言った。
彼は前よりデリカシーというものを学んだらしく、
いろいろ気にしながらだけど、昔のように楽しく喋ってくれた。
8年前よりも親しく、16年前の子供の頃のように。
私の話を聞く時の彼の穏やかな笑顔を思い出した。
鮮烈さや情熱のような、恋と呼べるような特徴は微塵もなく、
ただひたすら穏やかな強い気持ちで、ずっとそばにいたいと思った。
彼を好きで、そばにいたいという思いはそういう感覚だった。
子供で、何にもわからなかったけど、
こんな風に思える相手は大事だと思ったんだった。
懐かしい。
こんな風にまた話せるのは、友達のまま終わったからかもしれない。
それなら、友達のままで本当に良かった。
やっぱり、彼は夢だった仕事を続けて、打ち込んでいた。
積もり積もった話がありすぎるので、
詳しくは今度会って話すことにした。

今後の指針も大した立てれなかったけど、
思わぬ収穫があった。
友人というのはずっと友人であるし、
会える時に会うのが良い。
会社以外の世界との触れ合い、という意味でも良かった。