夜の散歩

静かな夜。
部屋には電球の橙の光。
今日は餅を量産した。
お正月でもないのに。
年末に買った餅つき機を使うのは3度目だ。
つきたての餅は美味い。
きなこと、のりと醤油、お雑煮で食べた。
前回はごまもあった。
太ってしまう。
今日はダイエット解禁日。
お雑煮を食べた後、
夜の散歩に出かけた。
小雨が降っていた。
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穏やかな日。
毎日こうはいかない。
大きすぎる自分の感情を持て余すことが多々有る。
憎しみ、憎しみの裏に隠された嫉妬、もしくは寂しさ、願望。
職場では昨日の味方が今日の敵。
私と同じくらい自分の感情を持て余した女たちが、
私みたいな平和主義(事なかれ主義ともいう)でないために、
ちょっとした行き違いですぐに牙をむく。
理不尽だ!といちいち腹を立てる自分。
横で、理不尽さを笑顔で受け止める後輩に気づき、
自分の幼さに気づき、穴があったら入りたい気持ちになる。
かと思えば、上司に褒められたり、
思わぬ人と楽しい話をしたり、
ちょっとしたことでウキウキする。
もしかしたら、私が一番不安定かもね。
一番、幼いまま成長が止まっているのかもね。
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いろいろなことがある。
嫌なこともたくさんある。
苦しいこと日:楽しいこと=10:1くらいではないか。
これでも、結構幸せな方ではないか。
とても平凡な日々だ。
毎日一緒にごはんを食べる人がいる。
週末も、置いてけぼりな時以外は、
ずっと一緒にいる。
とても心地良くて、落ち着く。
安心なのは、こんな日々がずっとは続かないと、
もう自分が知っているから。
同じ日は二度と来ない。
一緒に丘から夕日を眺めるだけで胸が痛かった日も、
雨で停滞したその人とジメジメ睦まじく過ごした夏休みも、
そして今のこの穏やかな生活も。
気持ちは少しずつ変化していくし。
他に大事な人ができるかもしれない。
どちらかが死ぬかもしれない。
だから大切だ。
ずっと、一緒に過ごせるほんの一瞬を
宝物のように思ってきた。
今はもう一緒にいるのが当たり前で
時々、いやしばしば、憎たらしくなることさえある。
でもそんなことも、
生きているのだから、
他人といるのだからあって当たり前のことなのかなと思う。
どんなに憎たらしくても、
根底にあるそばにいたいという気持ちは、
自分で見失ったりしないものだ。
見失ったと思ったら、それはもうそばにいたいと思ってないってことなんじゃないかな。
結婚していた時、何年も見失ったままで、
結局また見つけられることはなかったもの。
自分で決めたことだから、生きていける。
自分で決めないと何の意味もない。
やっとそれがわかった。
好きなように生きて行く。
好きなことだけして生きていく。(仕事以外は)
本当はしたくないのに「すべき」だからすることなんて、
結局自分を育むどころか、
心を歪ませてどんどん人生を複雑にしていく。
自分の気持ちに耳を傾けて、
自分の望むことをしたい。
「ちょっとワガママかな?」とか
「幼稚な願望かな」とか思いがちだけど。
そうだとしても、望んでいるのは事実なのだから、
その望みを叶えないと、ワガママや幼稚のその先へは進めない。
うん、眠い。寝よう。