絵の具

養ってもらって、一緒にくらしている人のことを
憎むことは間違いではないのだろうか。
果たして私は、本当に彼と離れて暮らしたいのだろうか。
それとも、自分が傷つけられたり思いが受け入れられないことに対しての不満を
憎しみをぶつけることで表しているだけなのだろうか。
実際に、離婚となったら、嬉しいのか?
離婚して嬉しいとは、語弊がある。
きっと、離婚して嬉しい人はあまりいない。
より良い人生を求めて離婚を選んでも、
ずっと一緒に暮らしてきた人と離れるのは寂しいものだろう。
ここを深く考え始めると、終わりへ近づいていく気がする。
私は一体、何がしたいのか。
別に夫のことが、本気で憎いわけではないのだ。
絶対に、何が何でも離れて暮らしたいわけではないのだ。
言葉や体の暴力があるわけでもない。
ただ、心のバランスがとれないのだ。
一番近くに、こうやって暮らしている、自分の夫である人のことを、
できるだけ自分にできることはしてあげたいと思いこそすれ、
愛しいとか、好きだとか、もはや少しも感じないことに、不自然さを感じる。
その不自然さに、不安になる。
そして、冷たい気持ちで暮らしていたら、
本当に自分が冷たい人間になっていくようで、怖い。
そう、結局は、自分のことが心配なのだ。
冷たい人間になっていくのではなくて、
もともと冷たい人間なのか?
どんなに友達関係や自分の勉強や趣味が充実していたところで、
一番近くにいる人を大事にできなければ、
そんな生活に価値はあるのか?
じゃあ夫との関係で、私にできることはなんだろう。
歩み寄ること?我慢すること?広い心で接すること?
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今日もスリランカの女の子と話した。
彼女は本当にゆっくり、話してくれるから聞き取りやすい。
60%くらいは聞き取れるな。(低っ)
スリランカ仏教徒が多いらしいが、
彼女はヒンドゥー教徒のようだ。
ヒンドゥー教といえば、カースト。。。
いま、インドで大きな問題になっている。。。
なんだか遠くの国の話のような気がしていたが、
目の前の小さな女の子が、ヒンドゥー教徒であることに、
なんだか不思議な気持ちになった。
ちなみに、クラスにはインド人のおじいちゃんがいる。
とっても変わったおじいちゃんで、
女性にとてつもなく優しい。
コーヒーを淹れてくれたり、
お菓子をくれたりする。
いらないと言っても、無理やりくれる。。。