将来

こんなことは何でもない。
些細な喧嘩。
怒り。
日常の普通の出来事。
精神的にも物理的にも
距離を置こうと自分で決めてからは
衝突は格段に減った。
衝突の後のダメージも。
はじめはどうしても期待したけど
思い描いてた甘い理想通りにならないかって
もっとそばにいて
お互いに支え合えたらとか。
近づいては傷ついた。
数は少なくても衝突が起こることは変わらない。
描いていた夫婦と違うことも。
そんな有様でも積み上げてきた何かがある。
喧嘩しながら
お互いに反省することは少なくても
入ってはいけない領域を覚えたり
同じ間違いをしないよう気をつけたり
小さな思い出を重ねたり。
そうして積み重ねて徐々に
良い関係を築いていけるようになるのかも、
それが愛かも、と思うこともある。
逆にこんな人間とはもう暮らせないと思うこともある。
こんな風に暮らすくらいなら、一生一人で暮らした方がいいとも思う。
自分で決めること、というわけでもない。
二人の関係だから。
修復不能かどうかは、決断するというより判断することだ。
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もう、だめだと思う。
衝突する度に、距離をとることを決める。
肌が触れない距離。
精神的に甘えない距離。
お金の問題が起こらない距離。
距離、距離、距離。
だったら一緒にいる意味は?
何かを相談し合うこともない。
それで、確かにやっていける。
でも、それを寂しいと思うから、
性懲りも無く話をしてしまう。
近寄らなきゃやっていける。
甘えたり愚痴ったりしなきゃやっていける。
お金のことを自由にさせればやっていける。
大事なことを相談しなければやっていける。
でも、そうまでして続ける意味って?
そんなことで家庭を築けるのか?
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誰に会っても、姉弟かと聞かれる。
そういうことだ。
私たちは共同生活を送ってる家族かもしれない。
けど夫婦じゃない。
法律上はそうだとしても。
全部自分が決めたこと。招いたこと。
私は自分の人生が嫌で、自分が嫌で、
誰かに人生を変えてほしかった。
価値観も生き方も振る舞いも何もかも、
新しいものがほしかった。
だから、夫に全て明け渡そうとした。
明るくて奔放で自由で好き勝手生きる夫に。
自分もそうなれると思った。
自分で招いたこと。