秋刀魚
彼がまた出張に行った。
数ヶ月後から住む、遠いところへ。
また、一週間会えない。
もうすぐ、もっと長いこと会えなくなる。
遠距離恋愛というやつ。
今回の出張は、その練習だという。
馬鹿馬鹿しいと思う。
初めて恋愛をした中学生みたい。
けど、確かに、とも思う。
四六時中一緒にいるものだから、
会わない練習は大きな意味をなす。
*
遠距離恋愛の八割は別れるという。
そりゃそうだと思う。
会えないって、致命的。
私達はどうなることだろう。
*
彼といると、すごいスピードで毎日が過ぎて行く。
ゆっくり歩いていたのを、
急に走っているバイクの後ろに乗せられるような。
私は私の生活を全部置き去りにして、
どこかへ連れて行かれる気がする。
だから、たまに彼と離れると深く安心する。
好きなだけ寝られる。
好きなだけ料理に没頭できる。
掃除も、洗濯も、ハルと遊ぶのも、身だしなみも。
ああ、全部ないがしろにしてた、と気付く。
*
小さい頃、アルバムをめくっていて、
母が着物を着ている写真を見つけた。
鮮やかなオレンジ色の着物。
普段は落ち着いた地味な色ばかり好む母にしては珍しい色だった。
なんていう色だろう。
なんでこんな派手な色を選んだんだろう。
不思議でならなかった。
でも、それは母の気に入りの着物らしく、
いつかゆうが着ていいからね、
と何度も微笑みながら言っていた。
母は、去年、その着物を私のサイズに仕立て直しに出してくれた。
着付けの練習をしながら、
まさかこの派手な着物を、
自分が本当に着ることになるとは思わなかったなぁ、
と不思議な気持ちになる。
他の生徒さんに、よくお似合いですね、
と言われたけと、本当に似合っているだろうか。
母の派手なオレンジの着物。
いまのところ、そういう目でしか見れない。
*
もうすぐ飛行機の着く時間だ。
きっと、電話がかかってくる。
出発前、彼は心細そうだったから。
でも、きっと明日には、仕事の後に、
知らない街を仲良しの上司と一緒に散策して、
ビールを飲んで、お喋りをして、
元気になる。
一週間後には、楽しい出張を終えて、
帰ってくる。
彼は常に幸せに向かえる人なのだ。
私は違う。
常に中庸に向かいたい。
不幸ではいたくない。
でも、不幸な人がたくさんいる世の中で、とびっきり幸せになるなんてことにも躊躇してしまう。
それが偽善だとしても。
*
明日から、また毎日残業だ。
でも、火曜日は友達と会う約束をしている。
食の好みの会う友達で、二人でイタリアンのおいしいお店に行くと、
しきりに料理を褒めながら、食べる。
それが面白い。
火曜日は何を食べに行くのかな。