銅鑼

会社の玄関を出てすぐ、
見たことのない鳥を見た。
会社の周りにいる鳥といえばたいてい、
ハクセキレイ、カラス、カササギのどれかなんだけれど。
ハクセキレイみたいにすらっとしているから、
そうなのかと思ったら、
なんかちがう。色が薄い。眉が黄色い。
カラフルな鳥はレアだから、
テンション上がる。
帰って調べたら、キマユツメナガセキレイだった。
あとで彼氏に自慢しよう。

彼は家族、親戚、友達、ありとあらゆる人に私を紹介してくれる。
自分の大好きな人たちに、
私を紹介してくれる。
そして、私も彼らを好きになる。
不思議だ。
ひきこもって生きてきたのに。

母親というのは、太陽だという。
その家庭によると思う。
うちは、そうだった。
母のいない家は、
まるで抜け殻だ。
生気がない。
父がいても、兄がいても、親戚がいても、
それは変わらない。
だから、私たちは、あの家には帰れない。
あんなに淋しい場所はない。

大事な人を亡くしたら、
立ち直るのに、時を要するという。
日常生活に支障をきたすこともあるという。
自分だけが、腑抜けで、きちがいで
ろくでもないわけじゃない。
前へ進むことが怖いのも、
つきまとう罪悪感も、
不安定で怒ったり泣き出したりするのも、
おかしなことじゃない。
むしろ、ちゃんと働いて、
楽しいこともして、
まともな方なのかもしれない。
みんないろいろ抱えているのだ。

面食いじゃないことを、
少し誇りに思っていた。
顔面の作りで人を判断したりしない。
世の中には、面食いの人もいる。
特に、私の会社に多い。
イケメンに優しくする、とか。
美人としか付き合わない、とか。
なんだいなんだい、愚かな奴らめ。
そう思っていたけれど。
私は、顔で差別はしないけど、
性格でかなり差別をする。
嫌な奴だと思ったら、徹底的に見下して、態度にも出す。
それって、全然誇れることじゃない。
結局差別してることにかわりはない。
そんなことをふと思った、昼下がりだった。

でも、やっぱり不思議。
顔のいい人といるより、
性格のいい人といた方が、
ずっと心地よくて、いっぱい心が動かされると思うのに。